創業時の恩人達

1995年8月に創業してから14年目に入りました。
私は、前の会社をリストラに近いような感じで辞めざるを得なくなり、
独立をする決意をしたのですが、
当然、資金も乏しく親戚や知人にお金を借りて株式会社を設立しました。
(大手企業と取引するには「株式会社」が必要最低限の条件なのです。)

夢といえば、当時企画を温めていた懸賞情報誌しかなかったのです。

会社設立と言っても、それらの知識は無くて、知人の紹介で設立屋さんに
お願いして手続きしてもらいました。
資金が足りない分は、私の学生時代の友人二人が、
無条件で二人それぞれ100万円ずつ貸してくれたのです。
「二人で決めたんだ。何に使ってもいいから君には頑張ってほしい!」
金銭関係で友人関係を壊したくなかったけど、借りることにしました。
涙が止まりませんでした。

つぎは、会社設立にあたって、あらゆる面で助言と紹介をしてくれた
外資系に居た時の財務課長です。
お金についてのイロハから教えてくれ、
税理士の先生(今日の当社の顧問税理士)も紹介していただきました。

今のメインバンクである三井住友銀行(旧住友銀行)の当時の課長や融資の担当者には、
創業資金融資制度や金融のノウハウや顧客の紹介をしていただきました。

会社設立するなら「千代田区で勝負したら」と、
必要最低限の通信設備等を紹介してくれて、
経営の心構えなども教えていただいた、通信会社の当時の支店長。
そして、初めての仕事をくれた東北の会社の部長、
わざわざ連絡をしてくれてテープの書きおこしの仕事をくれたメーカーNの部長、
「これからは前職と同じ内容の事業ではなくて、デジタル広告の制作をしたら」と
助言をしてくれて、いろいろな仕事を出してくれた宣伝部の部長と次長。

ある日、創業1年目の報告をしに、当時のメイン顧客のN社の専務に挨拶に伺った時、
「仕事はどうですか?これから関連会社のN社長に連絡しますから、
訪ねていってください。なにか仕事はあるはずだから。」といって、
役員応接室で電話をしていただきました。
「武本さんの会社に何か仕事を出してくれませんか?」
私は何もお願いはしなかったのですが、
多分、私の顔に「仕事が欲しい」と書いてあったのだと思います。
嬉しくて涙が溢れてきました。

創業2年間は大した仕事は無くて、借金は膨らむばかりです。
その後、ある通信系広告代理店の当時の社長から、
「会社をたたんで、当社に来ませんか」とお誘いがありました。
多額の借金があり、お請けできませんでしたが、
その後、弊社の発展のきっかけを作ってくれた仕事を紹介していただきました。
同時期に、同じく通信会社の社長より、
「当社のマルチメディア関係の顧問をしてもらえませんか」とお誘いがあり、
私は個人報酬をいただきながら仕事をさせていただきました。
(当然、その分社長の給与はカットして、会社経費の節約をしました)

仕事を外部から支えていただいた協力スタッフや協力会社にも、
言葉には表せないくらいの感謝の気持ちを今でも持っています。
何もわからない版下関係の仕事を親身になってこなしてくれたSさん。
支払いも当初は半年も待ってくれたのです。
明け方まで企画書を作成していた時、牛丼を差し入れて一緒に仕事を手伝ってくれた
日系アメリカ人のクリエーターのBさん。
そして、創業3年目くらいまでに弊社で大活躍して退職していったスタッフの皆さん、
入社を拒んであくまでも社外スタッフで協力してくれた
慶応SFC出身の3名(今では弊社を抜く大企業に成長)の皆さん方は、
弊社の今日あるのは皆さんのおかげです。

今思うと、神がかりのように素晴らしい人達が現れては応援していただきました。

今日お付き合いのあるお客様、協力会社の皆さん、
そして素晴らしい社員の皆さんにも感謝していますが、
なによりも創業時という大変なエネルギーのかかる時に
サポートしていただいた皆さんには一生感謝の気持ちでいっぱいです。

今日の厳しい経済環境の中、現在お付き合いさせていただいているお客様、
外部の協力会社やスタッフの皆様、
そしてベストメンバーともいえる社員の皆さんのご協力で、
第二の創業、すなわち更なる成長と安定を目指して行きたいと願っております。