演歌歌手、水前寺清子さんの歌の中に「ボロは着てても心は錦」という歌詞があります。
「たとえ貧乏でも心は明るく豊かでいよう」という意味でしょうか。
最近、街を歩いていて若者のファッションに気になることがあります。
どこへ行っても、ルーズで暗くて色あせた服装の若者がなんと多いことか。
外見が暗いから、表情も暗く見えてしまうのは私だけでしょうか。
「ボロは着てても心は錦」なら良いのですが。
私の子供の頃は、貧富の差は「服装」に、はっきりと表れていました。
「継ぎはぎ」、「よれよれ」、「色あせ」や兄弟の「お下がり」で貧乏さがわかりました。
でも、その暗いルーズさが今やそれがファッションになっています。
普段着は良いのかもしれませんが、それはそれとして、時には着飾って街を歩き、
食事や映画、いろいろな鑑賞などの場所に行くことも大事だと思います。
欧米人(特にヨーロッパ人など)は、老若男女問わず着飾ってディナーに繰り出します。
お祝い事、ショーなどのイベントなどにも正装して出かけます。
普段の格好から正装することによって、ルーズになった気持を改め、
気分転換を図っているのではないでしょうか。
このことは大事なことだと思います。
誰かに見られる。
気を引き締める。
振る舞いを正す。
ついでに言葉遣いも変える。
一張羅(いっちょうら)の服(自分が持っている最高のおしゃれ着、勝負服)と素敵な髪型で、
ビシッと決めてみませんか?
私は、周りの若い人たちによく言う言葉があります。
「私は中身の無い人間だから、それを埋めるのに外見から努力した。
外見が充実してくると、必然的に中身もそれなりに埋まってくる。
だから、自分に足りないものがあれば、外見から努力してみよう」
いろいろな場所で、意識してファッションや仕草、言葉遣いに格好つけて、
紳士淑女になってみてください。
そうすれば、「品格」も少ずつ備わってきて、やがては立派な紳士淑女になることでしょう。
これだけが立派になる要素ではないのですが、より良い「素敵な人間の完成」に向けて、
今から努力してはいかがでしょうか。